ちょっと前の話になりますが、2月10日(日)は椙山の卒制審査会SuperReviewで、5名の外部審査員によるレビューが行われました。
展示会場は設計あり制作あり論文ありと多様な成果物で溢れていて、その中から卒業「設計」に該当するものが審査対象になるという形でした。
この前日に建築、インテリア、プロダクト…といったそれぞれの専攻内で既に審査は行われており、仮に専攻を縦軸と捉えるならこのSuperReviewは「設計」というアウトプットの形式を横軸として専攻を横断して審査を行うものでした。
愛知淑徳大でも卒業制作、卒業設計が同じ土俵で審査されていましたが、それはどちらかといえば学生の自主性に任せた結果いろんなものが出て来てやむなしとなった状態(笑)。対して椙山のSuperReviewはもっと意識的に専攻間を架橋するという意図を持って企画されている印象でした。デザイン女子の学内版という理解で正しいでしょうか。
今回は評価することの難しさを痛感した審査会でした。評価軸というのは様々で、その時のライブの議論の中で、如何様にでも変わり得ます。
結果、最優秀は斎藤あずささんの廃村計画でした。五十年前に人間が住まなくなった(が、現在第3セクターの管理下にある)廃村を、動物と共に暮らす場所として捉え直し、人間の世界としては徐々に終わらせてゆく計画です。考えてみれば建築計画ってどこ見渡しても人、人、人しかいない。奇しくもjt1月号巻頭で石山さん妹島さんの両者が動物のいる世界について言及していましたが、動物という視点の切り替えにハッとさせられました。率直に言えば設計そのものはまだ物足りない面があるのですが、射程の遠さ深さは一番だったと思います。
一方、実力で言えば一番は原口さんだったと思います。エントリー中、唯一全国レベルの設計力といって差し支えない力を持っていました。
設計で凌ぎを削る雰囲気があまりなく皆仲良く和気藹々、いやむしろそこから外れることがリスクにもなるような椙山の中で、その中にあえて入らず空気を読まずにやってた彼女は本当にすごい。彼女の孤独に思いを馳せます…独りやる、という選択をしてきたことは、結果にかかわらず確実に彼女の胆力になっていくと思います。
SuperReviewではインテリアと建築の卒業設計を同じ土俵で審査します。双方の作品をフラットに見比べることで、それぞれの設計行為が暗に前提としている評価体系の違いがくっきりと見えました。両者においては卒業設計におけるテーマの位置付けが大きく異なります。ざっくり言えばテーマのための設計か/設計のためのテーマか、ということになると思います。
建築の枠組みで高い評価を受けやすいのは圧倒的に前者であり、設計よりむしろ設計を可能にする前提条件のつくりが問われるようなところがあります。
原口作品が頭一つ抜けた設計力を示しつつ、総合評価で最優秀とならなかった理由もここにあります。
大学の建築教育の卒業制作においては設計行為を可能にする前提の構築こそが不可欠です。極論を言えば前提がきちんと構築されていれば、設計自体はなくてもいい。
ここでよく問題になるのが、大学建築教育の卒業設計においては、大学で教えていないことがもっぱら問われている、という議論です。
それについても考えるきっかけになったので、別稿で書きたいと思います。
最優秀 斎藤作品「朽ちていく」模型
3位 原口作品
3位 武富作品
2位 竹島作品